久しぶりにインドに行きました。デリーは10年ぶりくらい。バラナシに至っては1996年以来の20年ぶりです。インド自体は5、6回行ってるのでそれなりに勝手は分かってるつもりでしたけど、このご時勢、それだけ年月が経つと一体どうなっているんでしょう。
20年前には、暗く混んでて臭くて悪そうな人がいっぱいいて、白タクの運転手に引っ張り回されてすごい緊張したデリーの空港は近代的に生まれ変わってて、地下鉄も出来ててすんなり市内まで到着。しかし地下鉄の駅から地上に出てみると、・・・インドでした。
思い出しましたよ、ここを「機能する無政府状態」と呼んだ人がいたことを。物売り、乞食、調子のいい若者、痩せた肉体労働者、死にかけの人、哲人風の男、サリー姿の恰幅のいいおばさん、不具者、牛、バイク、リクシャー、何をやっているのか分からない人々。混乱無秩序ながら、すべて渾然一体となって流れておりました。10年前とは違って人々の手にはスマホが握られていたけれど、インドは、インドでした。
デリーのジャマーマスジッドのミナレットにも登ってみました。イスラム教のEidのお祭りが近いせいか、モスクの前の市場は賑わってました。おそらくはEidのご馳走で食べられてしまうヤギもたくさん売買されてて。
しかし20年。ニューデリー駅前のメインバザール、パハール・ガンジを覗いてみると、昔と変わらず怪しい安宿や、ドレッド風の髪のダラダラした格好で鼻ピアスなんかしてる白人カップル、サンダル履きで襟首の伸びきったTシャツのアジア人のバックパッカーやらを見かけましたが、もうそこは、僕のいるべき場所ではなかったです。変わっていたのは僕の方でした。そもそも僕の荷物はバックパックではなくTUMIのキャリーケースですし。
そして飛行機でバラナシへ。新しいLCCが国内線をたくさん飛ばすようになっているので、20年前は夜通し鉄道で渡ったインドの大地を、あっけなくひとっ飛び。あの鉄道の旅もいいんだけど、もうあの時のように時間を贅沢には使えない。体力も足りない。
小舟でガンジス川に出てみる。ついでに対岸まで行ってみる。ボート漕ぎの兄ちゃんは4人の子持ちで大変だというけれど、人が景色を眺めている寸暇にスマホでツムツムみたいなゲームをやっておる。父ちゃん、しっかりしてくれ。
天気予報は終日雷雨、降雨確率80%みたいなこと言ってたのに、ずっと晴れ、時々曇り。砂埃のせいか霞んでいるけれど、日差しも強くて暑く、体力を消耗します。もう学生ではないのでちゃんとエアコンの効く部屋に宿泊し、タクシーやリクシャーも躊躇せず利用し、ケチらず食べたい物を食べ、小道が入り組む迷路のような街では迷子にならないようにガイドを頼んでも、やっぱりくたびれます。
体力を消耗するのは、もちろん暑いとか食べ物が違うとかいうのもあるんだけど、やはりこの街の喧騒、五感に流れ込む情報量の多さが原因です。いつもと違う種類の刺激が一気に入ってきて処理できない、処理にエネルギーを要してるんだと思うのです。「刺激が横溢して単調」と評したのは和辻哲郎でしたかね。イコライザーで全ての音域のボリュームを「大」にしているような刺激の横溢です。
聖なるものも俗なものも、生も死も、美しいものも汚らわしいものも、豊かなものも貧しいものも、あらゆるものが目の前に放り出されているようなところです。偉そうで感じの悪い人、騙そうとしてくる人、親切な人、クソ真面目な人、ひょうきんな人。いろんな人いるのは当たり前なんだだけど、みんなそれを取り繕ったところがなく、息づく営みをありのままに見せられるような体験です。
結局僕は、こういう喧騒の中に身を晒すためにインドに来ているのかもしれないですね。
夕飯時に会った日本人学生や空港で見かけた日本人バックパッカーは、似非ガイドにぼったくられた話とか鉄道の切符の買い方とかお腹を壊した話とか、お馴染みの話題で盛り上がっていました。
彼らは20年前の僕だ。このインド旅行から持ち帰った経験が、彼らのその後の人生を豊かにしてくれますように。旅を続けるという彼らに、使い残した「キレイキレイのウェット除菌シート」「キンチョー蚊がいなくなるスプレー(12時間用)」や「三ツ矢サイダーキャンディ」を進呈しながら、そう願わずにはいられませんでした。
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おまけ。バラナシの街で世話になったガイドのSunilくん。観光客は隙あらばお金を出させようとするやつに付きまとわれるので、最初からひとりに決めてチップを弾んでおくと面倒がなくっていいですよ。見所も効率良く周れるし。Sunilくんのおかげで快適で効率的な観光ができました。